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「よし、コンビニでも行くか」

 虹村さんがそう切り出して、帰り道にあるコンビニに寄ることになった。

ゆめのはなし 13

 店内に入って、虹村さんは真っ先に雑誌コーナーへ向かって週間漫画雑誌を迷いなく手にとった。元の世界では見たことのない、この世界特有のものだった。私はその隣を陣取って、パラパラと雑誌をめくって目当ての漫画を探す虹村さんに問いかけた。

「どの話がお勧めですか」
「うおっ、なんだ、赤司妹。興味あんのか?少年漫画だぞ?」
「熱血スポ根漫画とか好きですよ」
「意外だな」
「人は見かけによらないものです」

 まあスポ根というよりもスポ根漫画のイケメンに興味があったりするのだが、説明するのも面倒なので黙っておく。

「おすすめかー、このサッカー漫画とか最近人気だったりするぜ。あとはこれとか」

 そう言って虹村さんはパラパラと雑誌をめくりながらおすすめを教えてくれた。中身も元の世界で見たものとは違うものばかりだった。

「やっぱでも、一番のオススメはこのバスケ漫画だな」

 最後に見せてくれた漫画も、やっぱり私の元いた世界では見た事のないものであった。特に元の世界の欠片を探しているわけではないが、読んでいたジャンプの続きが気になっていたのでこっちの世界でも読めたら、という程度の認識だった。そんな希望は全滅したが、虹村さんと話をするという一番の目的を果たせたので満足だった。

「バスケ部、ですからね」
「まあな、バスケ好きだしな。単行本も集めてんだ」
「面白そうですね」
「今度貸してやろうか?」
「いいんですか?ぜひお借りしたいです」
「それじゃ、今度持ってきてやるわ」
「ありがとうございます」

 その上、虹村さんとの約束も取り付けられて、私にとってはこれ以上ない幸せだった。

「あの」

 そのタイミングを見計らって、征ちゃんが声をかけてきた。

「どうした、赤司」
「いえ……特に用事は、ないのですが」
「ん?」
「手持ち無沙汰になってしまったので」

 声が、少し不満げだった。どうやら二人で盛り上がっていたのを見て寂しかったのだろう。可愛げのある兄だ。虹村さんも同じことを思ったのだろう。笑いをこぼし、征ちゃんの頭を撫でた。

「わりぃわりぃ」

 そしてやっぱり、悪びれた様子のないように笑いながら謝るのだった。

「お詫びに何か奢ってやるよ」
「いえ、それは……」
「遠慮すんなって」
「でも」
「いいから、好きなもん持って来い」
「そう、言われましても」

 征ちゃんは困惑した様子で、恥ずかしそうに小さく呟いた。

「こういうの、初めてなので」

 美少年に頬を赤らめながらこんなことを言われれば、まあ、誰だって動揺する。だから虹村さん、店内なので夕日の言い訳が通用しなくなりました。諦めて頬を赤く染めてください。私はそれを隣で美味しくいただいています、なんてことまでは言わないが、さすが征ちゃんだ。どんな方面に対しても才能がありすぎて羨ましい。
 しかし、さすがに完全停止してしまった虹村さんがかわいそうなので助け舟を出してあげることにした。

「アイスにしようよ、征ちゃん」
「アイス?」
「うん、私、アイスが食べたい。いいですか、虹村さん?」
「お、おう。好きなもん持って来い」
「選びに行こう、征ちゃん」
「あ、ああ」

 戸惑う征ちゃんの手を引き、私はアイスを選びに向かった。

「征ちゃん何にする?」
「……普段あまり口にしないからな、何がいいのだろうか」
「ミルク系にしようかな。あ、でもシャーベット系も捨てがたいね」
「抹茶アイスも美味しそうだな」
「おしるこバーってあるよ」
「それは緑間が好きそうだな」
「たしかに」
「オレは……スタンダードなものから試してみるよ」

 そう言って征ちゃんが手にとったのは、一般的なアイアスバーだった。値段も手頃なあたり、先輩への気遣いはバッチリだ。

「決まったか?」
「あ、はい、決まりました」

 遅れてやってきた虹村さんに、征ちゃんはケースから取り出したアイスバーを見せる。

「私はこれにします」

 ケースからおしるこバーを取り出し、虹村さんに見せれば決まった言葉が帰ってくる。

「どこの緑間だ」



 コンビニで買い物を終え、再び帰路に戻る。購入したばかりのアイスを開封し、三人で歩きながら食べた。

「征ちゃん、それ美味しい?」
「ああ」
「何味?」
「ゆず味だよ」
「一口ちょうだい」
「どうぞ」

 征ちゃんは私の口元にアイスを差し出してくれた。遠慮してほんの少しだけそれを齧った。ゆずの味が口にほんのり広がる。

「美味しい。こっちも食べる?」
「……一口、試してみる」

 少しためらいつつも頷いたので、同様に征ちゃんの口元におしるこバーを差し出す。征ちゃんは普通の大きさの一口でアイスバーに噛み付いたが、そのまま停止し、むっと顔をしかめた。

「まだ凍ってて、ちょっと硬いよ」
「……」

 先に言え、と征ちゃんは上目遣いで睨みながら訴える。それからほんの少しして無事に齧り終えた征ちゃんは口の中でアイスを転がし、味を確かめた。

「普通に美味しいな」
「でしょ」
「今度緑間に勧めてみよう」

 少し目を輝かせて言う征ちゃんに、虹村さんがすかさずツッコミを入れる。

「しるこ好きならもうチェックしてそうだけどな」
「それは、確かに……」
「虹村さんも一口いかがですか」
「じゃあ遠慮なく」

 征ちゃん同様、口元にアイスを差し出そうとした。しかし、虹村さんは予想外の行動に出た。私が差し出そうとした手を、虹村さんが掴んだのだ。そして口元に引き寄せて、ガリっと一口齧った。噛み砕く感触が手に伝わる。握られている手が熱くて、触れられたところから私の手も熱が広がるような感覚に陥る。
 アイスを齧り終えた虹村さんはアイスを味わうことに専念しだし、私の手を解放した。

「ど、どうですか」
「おう、普通にうめぇな」
「それは、よかったです」

 突然の心を揺さぶられる行動に、うまい返事が出来ない。そこでタイミングよく、征ちゃんが助け舟を出してくれた。多分、無意識なんだろうけど。

「虹村さんのそれは、何ですか?」
「食うか?」

 征ちゃんが問いかけると、虹村さんは手元のアイスを掲げる。袋入りの球状のシャーベットアイスだった。いくつかの味が入っているタイプのものだ。

「では、一ついただきます」
「何味がいい?」
「えっと、何でも構いません」
「お、それじゃあ、目ぇつぶれ」
「え?」
「いいから」

 不思議そうな顔をしつつも、征ちゃんは目をつぶる。

「そんで口を開けろ」

 素直に指示に従った征ちゃんは目を閉じたまま口を開ける。虹村さんはアイスを一つ取り出し、そこに放り込んだ。
 征ちゃんは驚きながらもアイスを口に含み、それを口の中で転がした。

「何味でしょーか?」

 虹村さんが悪戯っぽく笑ってそう言った。征ちゃんは目を閉じたまま困惑していた。

「え、えっと……」
「もう目開けていいぞ」
「あ、はい」

 目を開けて、アイスを味わうのに専念していた。数秒考えたあと、アイスを飲み込んで答えを口にした。もちろんそれは正答だ。さすが征ちゃん。

「赤司妹もやるか?」
「わ、私は普通にいただきたいです」

 目をつぶって口を開けるなんて、とてもじゃないが恥ずかしくてできない。そう思って手を差し出した。ひとつつまんで、その手に乗せてくれれば平和に済む。

「手が汚れんだろ、口開けろ」

 この人は無自覚というか、無神経というか、なんと言えばいいんだろうか。予想外の動きをして、私と征ちゃんを困らせる人なんだろうか。多分、そういう人なんだ、きっと。
 私は観念して口を開ける。ふと、うちの鯉の姿が頭をよぎった。今朝も征ちゃんと餌をやったけれども、あんな風に見えてるのだろうか。そうだとすればとても恥ずかしいのだけれども、虹村さんはなんとも思っていない様子だ。長くてすらっとした指でアイスをつまんで、私の口の中に放り込んだ。私の頬の熱を取るのに程よい冷たさが、口内でどろりと溶けて広がった。



「これもやるよ」

 アイスを食べ終えると、虹村さんはカバンの中から棒付きキャンディーを取り出した。

「ありがとうございます」
「紫原がよく食べているやつですね」
「ああ、そういやそうだな」

 相槌を打ちながら、虹村さんは包み紙を慣れた手つきではがし、キャンディーを咥える。口の中で飴を転がしているのだろう。棒をひょいひょいっと口元で揺らしていた。
 私も包み紙を開封し、口の中に放り込む。いちごの味が口の中に広がった。甘くて、美味しい。
 ふと、隣の征ちゃんに視線を移す。征ちゃんはもらった飴を見つめているだけだった。棒をつまんで、くるくると回して手遊びをしていた。

「食わないのか、赤司」
「あとで、頂こうと思います」

 そう言って征ちゃんはそれを大事そうにポケットにしまった。

「虹村さんは、結構食べるんですか、こういうの」
「まーなんていうか、口が寂しいっていうか」

 喫煙者のような理由だった。中学生の言うことではない。本当にこの人は中学生なのか。

「帰り道、大体一人だからな。しゃべる相手がいないと、なんか、気を紛らわせたいっつーか」
「なんとなく、分からなくもないですが」
「うまく言えねーけど、そんな感じ」

 そう言って、虹村さんは手に持った飴を夕日にかざした。橙色と混ざって、赤く光る。虹村さんはそれをじっと見つめていた。

「虹村さんのも、いちご味ですか?」
「おう」
「キレイ、ですね」

 虹村さんにならって、飴を夕日にかざす。イチゴ味の赤い飴と夕日の橙が混ざる。

「お前らの、瞳の色みたいだな」
「え?」

 そう言われて虹村さんの方を向けば、虹村さんの視線は私の瞳を捉えていた。虹村さんは飴を掲げながら、得意げに言った。

「お前らの瞳の色とそっくりだ。赤司の瞳見れば、お前もそう思うって、ほら」
「わっ」

 虹村さんは征ちゃんの頭を鷲掴み、乱暴に差し出した。征ちゃんの瞳を覗き込む。確かに、とても似ている色合いだった。

「そう思うと、お前の目ん玉美味しそうだな」

 さすがにそこまでは、なんてツッコミをしようかと思って虹村さんを仰ぎ見るが、その表情を見てやめた。にやりと笑う虹村さんは、冗談を言って私たちの様子を伺っていた。
 私が口をつぐんでいると、征ちゃんが代わりに口を開いてくれた。

「くりぬいて差し上げても良いですよ。虹村さんになら」

 あさっての方向の返しが来た。しかも、私は似たようなセリフを知っている。未来のあの発言につながる下地は、ここにあったのだろうか。そんなことはさておいて、虹村さんの反応を伺うとしよう。

「……お前、この短時間に無茶振りの返しうまくなったな」

 虹村さんは予想を上回る返しに少し戸惑っていたが、どうやら困惑よりも感心の方が更に上だったらしい。

「割と本心ですよ」
「余計恐ろしいわ、遠慮するぜ。というか冗談だっつーの」

 征ちゃんは割と素で返していたのか、末恐ろしい。それを聞いた虹村さんも、感心を上回る気持ち悪さに引いている。征ちゃん、ドン引かれてるよ。心の中でそう呼びかけると、征ちゃんは口角を少し上げて笑っていた。どうやら征ちゃんも冗談を言って虹村さんの様子を伺っているようだった。似た者同士だな。ともかく、楽しそうでなによりだ。
 しかし、そんな楽しさは、突然、風のように去っていくことになる。征ちゃんの顔つきが変わる。目を伏せ、何かを憂うような表情を浮かべた。口元だけ笑みを浮かべながら、呟いた。

「願い事が叶うかもしれませんよ」

 なんてことのない、冗談の続きだった。

「それなら……ちょっと欲しいかもな」

 先輩の悪ふざけに乗っかった、後輩のお遊びの一言だったのだろう。そしてまた、先輩が乗っかっただけだと、私はそう思っていた。

「お前の目ん玉だろ?そりゃなんだって叶うに違いねぇ」

 笑いながら、虹村さんは冗談を続けた。だけどなんだか無理をしているように見えて、冗談の中に本音が混じっているような気がした。
 虹村さんのこんなに寂しそうな顔を見るのは初めてだった。彼と共に過ごした時間は短いから当たり前だけど、それにしても、なんだか虹村さんらしくない表情だった。

「赤司」

 冗談は終わったようだ。先輩らしい、シャンとした声に切り替わっていた。

「はい」

 征ちゃんも真面目モードに戻っていた。虹村さんをまっすぐ見つめて、返事をする。

「あとは、頼んだぞ、赤司キャプテン」

 虹村さんは、征ちゃんのことをキャプテンと呼んだ。

「……はい、虹村さん」

 そして征ちゃんは、虹村さんのことをキャプテンではなく、虹村さんと呼んだ。



 虹村さんと別れたあと、私は征ちゃんから事情を聞いた。虹村さんのお父さんのこと、そして、征ちゃんが主将になるということを。
 この時期に征ちゃんが主将になるということは漫画で知っていたが、まさかそんな理由があったとは。
 きっと、これからも、私の知っていることが次々に起こるのだろう。その未来を思い、私は顔をしかめたくなった。これから起こるのは、才能の開花と、その喜びから遠ざかるような、予期せぬ崩壊だ。
 それを、私は目の前の彼に伝えたかった。征ちゃんに、この未来を伝えさえすれば、なんとかしてくれるのではないかと思った。崩壊せずに済む道を、選んでくれるんじゃないかと、思っていた。
 だけどそれは世界が許さなかった。私はそれを伝えられない。伝えようとしても、言葉は出ないし、表情すら動かせなくなってしまう。
 ひどく、ひどくもどかしい。その気持ちすらも、表情に出せず、私は征ちゃんの話を聞きながら、ありふれた相槌を打つことしか出来なかった。
 世界が許してくれたのは、腹いせに飴を噛み砕くことぐらいだろうか。棒を持って口の中から取り出してみると、球状だった飴が半球になっていた。半分にしてしまった飴を手元でくるくると回しながら眺めていると、いつの間にか家の前に着いてしまっていた。案外早い到着だなと思いながら、再び手元の飴に目を落としながら門をくぐった。

 その瞬間、征ちゃんに服の裾を引っ張られ、私は立ち止まらざるを得なかった。その反動で、手に持っていた飴を落としてしまった。

「どうしたの、征ちゃ……」

 振り返ると、征ちゃんの顔はいつもよりも青ざめていた。何かに怯えるような、そんな征ちゃんを見るのは初めてだった。小さく、征ちゃんの唇が動いた。

「父、さん……」

13.12.18 明那
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