cling
灰崎に部室に連れ込まれたおかげで虹村さんと運命的な出会いを果たせたその夜。
「征ちゃん、こんばんは」
「どうした、征」
夜ふかしが苦手だと言っていたので、夜分遅くという時間に征ちゃんの部屋を訪れてみた。
ゆめのはなし 09
征ちゃんは、ホテルとか旅館とかにおいてありそうな寝間着を着こなしていた。布団は既に敷き終えていたが、征ちゃんは机に向かって本を読んでいるところだった。
「寝間着、似合うよね征ちゃん」
「征も着たらどうだ?」
「初日は来てたんだけど、なんだか落ち着かなくて」
私はだぼっとした大きめのTシャツと短パンのジャージを着用していた。三田さんが毎晩持ってきてくれるのだが、どうも帯の締め方がうまくいかなかったりすぐはだけてしまったりして面倒になったので、この格好に落ち着いてしまった。
「まあ、征ちゃんは何を着ても似合いそうだけどね」
「そう言ってもらえると嬉しいよ」
「スカートとかも」
「……」
調子に乗って口走ってみたが、やはり冗談が過ぎたようで征ちゃんは黙り込んでしまった。
「嘘、冗談だよ」
「……まあ、履いても構わないが」
征ちゃんの口からこぼれたのは思いもよらない返答だったが、このチャンスを逃すわけには行かない。瞬時に判断を下した私は征ちゃんをまくし立てた。
「本当?じゃあ今すぐ持ってくるね」
「ちょっと待て」
「代わりに征ちゃんの制服も借りていくね。私、着てみたかったんだ」
「征、話を」
「聞かないよ」
「聞いてるじゃないか!」
声を荒げる征ちゃんなんて珍しいな、なんて頭の隅で思いつつ、私は壁に掛けてあった制服を手に取り、自室へと向かった。自室にて、征ちゃんと同様に壁に掛けてある自分の制服をもう片方の手に取り、奪ってきた、もとい、借りてきた彼の制服をそこにかける。再び征ちゃんの部屋に戻り、まだ立ち尽くしていた征ちゃんに向かって制服を放り投げた。
「これに着替えておいてね。私も向こうで着替えてくるから」
「……分かった」
諦めた顔でスカートを受け取った征ちゃんをあとに部屋を出て、着替えるために自室に戻った。そこでふと我に返り、少し暴走しすぎてしまっただろうか、という不安が頭をよぎった。しかし、時すでに遅し。征ちゃんの同意も得られたことだし、この際楽しむしかない。そうやって自己完結し、私は征ちゃんの制服に腕を通した。
彼シャツならぬ兄シャツは、残念なことにサイズがぴったりだった。さすが双子。高校生にもなれば体格にも差が出てくるだろうが、中学二年生ならこんなものなのだろう。シャツはもちろん、スラックスの丈もばっちりだった。ベルトとネクタイを締めて、ついでに長い髪も縛ってみた。鏡を覗き込めば、そこに立っているのは髪を伸ばした征ちゃんに見えなくもない。本当に、顔の作りも体格もそっくりなんだな、と思う。紫原や虹村さんにああ言われるのも無理はないのかもしれない。
そろそろ征ちゃんの着替えも終わった頃だろう。私は胸を弾ませながら隣の部屋に向かった。
「征ちゃん、着替え終わった?」
「……ああ」
不本意そうな返事を確認して、私は部屋へと入った。
ほんの少し恥ずかしそうにスカートの裾を抑えながら、帝光の女子制服に身を包む征ちゃんが佇んでいた。第一ボタンまできちんと留められている水色のシャツに、綺麗にちょうちょ結びにされた黒いリボンが映える。そしてスカートから伸びる生足。しまった、ハイソックスを渡すのを忘れていた。いや、ここは筋肉質な脚をごまかすために黒タイツの方がよかったかもしれない。そんなほんの少しの後悔をしていると、征ちゃんは顔を上げ、驚いた表情を浮かべた。
「……征、かっこいいな」
「あ、本当?ありがとう」
まさか自分がそんなことを言われるとは思っていなかったので、少し驚いた。征ちゃんは自分の姿のことを忘れて、私をじっと見据えていた。
「髪をまとめるだけで、こうも印象が変わるんだな」
私に近づき、手を伸ばし、髪に触れた。
「本当に、男に見えなくもない」
「……それは、褒めてもらってるんだって、思うことにするよ」
夕方の灰崎のような悪意はないようだし、我慢だ。征ちゃんは私の何かをこらえたような表情を見たからか、少し笑った。
「気分を害してしまったらすまない、でもそれはオレも同じだ」
「うん、征ちゃんも可愛いよ。髪は短めだけど、女の子に見えなくもない」
「……褒めてもらっているということにしておこう」
やはり征ちゃんも私同様少し不満そうな顔をしたので、今度は私が笑ってやった。それにつられて征ちゃんもクスクスと笑い始めた。
「楽しいね」
「ああ、思いのほか楽しかったよ」
制服交換も満喫したところで、私たちは部屋に戻って着替え、再び征ちゃんの部屋に集まった。
征ちゃんが大分眠そうだったので寝転びながら話すことにした。征ちゃんはいつ寝落ちてもいいよう布団に入り、私は布団のすぐ隣りに寝転がった。自室から持ってきた枕を抱えてうつ伏せになり、顔だけを征ちゃんの方に向ける。
「征ちゃん、眠い?」
「ああ……大分、体が重くなってきたよ」
話し方もだんだんゆっくりになってきて、あくびをする回数も増えた。あくびをする征ちゃんを見るのは初めてだったので、なんだか新鮮だ。
「好きな時に寝てくれていいからね。征ちゃんが寝たら、自分の部屋に戻るよ」
「ああ」
返答される言葉も、徐々に短くなってくる。まぶたもだんだん落ちてきて、瞬きの回数が増える。
時計の針はようやく23時を指そうとしていた。私にとってはまだまだこれから、という時間なのだが、征ちゃんはもう完全に目を閉じてしまった。長いまつげが影を落としている。征ちゃんの寝顔をまじまじと見るのは初めてだった。普段とのギャップのせいだろうか、とても可愛く見える。
眠ってしまったと思われた征ちゃんの目が、ゆっくりと開いた。そして、じっと私を見つめたその瞳は、片方が橙色に変色していた。
この世界で会うのは初めてだが、私は彼の存在を、この世界に来る前から知っていた。
「初めまして、征美」
にっこり笑って、それから彼は横になっていた体を起こした。枕を抱え、寝転んだままの私を見下ろす。
「初めまして、もう一人の征ちゃん」
「僕のこと、知っているんだね」
この世界に来る前に漫画で予習してきました、というすっとぼけた話を彼にしても面倒なので割愛する。うまいことごまかして話をそらそう。
「あなたこそ、私のこと知っているのね」
「僕はもう一人の僕から情報を得ているからね」
「じゃあさっきまで制服交換して女装していたことも知ってる?」
「……そんなことをしていたのか」
ごまかすためにそらした話の選び方に失敗したのかもしれない。私は赤司にものすごく哀れんだ顔を向けられてしまった。赤司の口からため息がこぼれる。
「知識は共有してるが、記憶までは全て共有できてないんだ」
しかし結果オーライ。彼の性質が徐々に見えてくる。
「なんかややこしいね」
「全部共有するには情報が膨大すぎるんだ。くだらないことなど覚えてられない」
「……くだらないことなんかしてごめんなさい」
赤司の言うとおり、制服交換はただのノリであったので、くだらないと言われても反論のしようがない。バツの悪い顔をしてしょげていたからか、赤司はふっと笑って言った。
「すまない、責めたつもりはないんだ。もう一人の僕にとってはむしろ、楽しい機会だったんじゃないだろうか」
「分かるの?」
「感情は共有していないが、それくらい分かるさ」
当たり前だというように、彼はその言葉を紡ぐ。
「征美よりも更に近い、片割れだからね」
*
「それで、どうしてあなたが出てきたの?」
一番気になっていたことを赤司に聞いてみた。
「君と会ってみたかったんだ」
思いのほかくだらない理由だった。そんなことで入れ替わることなどできるのだろうか、と怪訝な顔を浮かべていると、赤司は詳しく説明してくれた。
「もう一人の僕が弱ってるときなら、僕の意思で出てこられるんだ」
ということは、眠くて意識が朦朧としていた隙をついて、この赤司は出てきたのか。
「あ、でもそろそろ限界かな。もう一人の僕が戻ってきそうだ」
本当、この短時間で何がしたかったのだろうか。
「あなたは、何がしたかったの」
「さっきから言っているじゃないか。征美と会うためさ。目的は達成された。だから僕は戻る。それだけだ」
「そう」
もう一人の赤司との会話は、あっけなくあっという間に終わってしまった。彼は再び布団に寝転び、入れ替わった時と同じ体勢に戻った。
「君に会っていないだけで、実は結構表に出ているんだけどね」
「それは、どういうこと?」
中途半端に意味深な言葉を残し、しかし彼はそれ以上なんの説明もしてくれなかった。
「また会えたときは、僕ともくだらないことをしよう」
再び私と目線の高さを合わせた彼は、笑ってただそう言った。
「いいよ」
「手を」
最後に彼は、私に向かって手を伸ばした。
「握っていてくれないか」
私は、返事をする前に伸ばされた手を掴んだ。ほんの少し大きくて骨ばった、温かい手。手に気を取られているあいだに、いつの間にか彼は目を閉じていた。そしてしばらく経つと、かすかな寝息が聞こえてきた。完全に眠ったようだ。
「征ちゃん」
そこで私は征ちゃんを起こすことにした。呼びかけると、征ちゃんの重そうなまぶたが再び上がった。
「……すまない、少し、眠っていた」
「うん、気持ちよさそうに寝てたよ」
「そうか……」
元の征ちゃんに戻っていた。先ほどの私ともう一人の彼とのやりとりは、どうやら覚えていないようだ。
「手」
「ん?」
つないでいた手を、ぎゅっと握り返される。寝ぼけ眼で私を見つめて、呟いた。
「ありがとう、温かくて、安心するよ」
「握ったまま寝てあげようか」
「とても、魅力的だな」
「布団半分貸してくれたら考えてあげるよ」
「どうぞ」
冗談半分で言った提案は征ちゃんに受け入れられた。征ちゃんはもぞもぞと動いて私分のスペースを空けてくれた。遠慮なくその隙間に入り込むと、握っていない片方の手で掛け布団をふわりとかけてくれた。目は完全に閉じているのに、私への気遣いは完璧だった。
「おやすみ、征」
「おやすみ征ちゃん」
どうか、いい夢がみれますように。そんな願いを込めて繋いだ手を軽く握った。征ちゃんからはすぐに細い寝息が聞こえてきた。手のひらから伝わる征ちゃんの温かさを感じながら、私もしばらくして意識を手放した。
13.12.09 明那