cling

 がちゃり、と部室の鍵が開いた。
「おい灰崎、てめぇ何してやがる」
 びくり、と灰崎の全身が跳ね上がった。尋常でない彼の焦り具合を見逃さず、私は姿の見えない灰崎の向こうにいる人に向かって助けを求めた。
「助けてください」
「ちょ、てめぇ、まてぐえっ」
 カエルが潰れたような音が彼の口から漏れた。其の瞬間拘束が解かれた、というか、私の体の上から灰崎が払いのけられた。自由になった私の目の前には、長い脚を振り抜いた黒髪の人が立っていた。その人は私を一切視界に入れず、灰崎を見据えている。蹴り飛ばされた灰崎のもとに迷いなく近寄っていったかと思うと、そこから先は思わず目をそらしたくなるほどの容赦のない暴力が灰崎を襲った。半殺し、とまではいかないが、四分の一殺しぐらいではないだろうか。灰崎が動かなくなるまでその制裁は行われた。最後に灰崎の胸ぐらを掴んで、彼は口を開いた。
「部室で犯罪行為に走った罪は重いぞ灰崎、あぁ?何とか言ったらどうだ」
「あの……灰崎、もう気絶しています」
「ちっ、使えねぇ奴だな」
 そう言って灰崎を床に落とし、そこでやっとその人は私を視界に入れた。
「大丈夫か、おま……」
 私を注視して、そこで何かに気づいたようだ。
「お前、赤司の妹か?」
「そうです」
「びっくりするくらい似てるな。赤司が女装したらこんな感じになりそうだな」
「……どうか、本人の前では言わないであげてください」
「わりぃわりぃ、言わねぇよ」
 双子だから仕方ないのか、会う人会う人にそっくりだと言われる。目の前の人も悪気はないようだ。笑いながらも承諾してくれた。
「あの、申し訳ないのですが……お名前をうかがってもよろしいでしょうか」
「おお悪いな、初めまして、だったよな」

 それは、この世界において、重要な出会いだったのかもしれない。

「三年の虹村修造だ、男子バスケ部のキャプテンやってる」
「二年の、赤司征美です」
「征美っていうのか。あれか、征十郎の「征」って書くのか」
「はい、「征」十郎が「美」しいと書いて征美(まさみ)です」
「ぶっ……お、覚えやすいな」
「よろしくお願いします」
「ああ、よろしくな。つってもまあ、あんまり会う機会はなさそうだが」
「そう……ですね」
 学年も違えばバスケ部になんか、今回のようなことがなければ近づきすらしないだろう。こんな自己紹介、したって意味のないようなものだ。
「にしても灰崎の野郎……普段は遅刻しやがるくせに、こんな日だけ一番乗りなんてな」
「今日は、何かあったんですか?」
「ああ、体育会の部活に所属してるやつ全員、熱中症対策の講習会があってな、今皆体育館に集まってんだ」
 だから、人気がなかったのか。
「今、皆帰ってくるところだ。お前の兄も、もうすぐ来てくれるだろ。安心しろ」
「……あの、そのことなんですが」
「ん?なんだ」
「今日ここであったことを、どうか表沙汰にしないでください」
 そう言うと、虹村さんは怪訝な顔をした。
「……いい、のか?」
「征ちゃん……兄に、知られたくないんです」
「代わりに、こいつを野放しにしておいてもか」
 虹村さんは気絶して床に転がってる灰崎を一瞥し、心配そうに私を見た。
「大丈夫です、次からは気をつけます」
「気をつけるって……怖かっただろ」
「えっとまあ、少しは。けど、なんとかやり過ごして、胸を掴まれたくらいで、虹村さんに助けていただいたので」
 それに、この部室でこんなことが起これば、部活にも迷惑がかかってしまう。それだけは避けなければ。征ちゃんの邪魔をしてはいけないし、何よりもしたくない。征ちゃんだけではなく、彼らのためにも。
 そこで、虹村さんが神妙な顔でじっと私を見つめていることに気づいて、言葉を詰まらせる。
「虹村さん……?」

「お前も、感情が表に出ないんだな。淡々と説明しやがって」
 こぼれ落ちた、というくらいの小さい呟きは、ちゃんと私の耳に届いた。私を通して別の誰かを見ているというのも、わからないわけではなかった。
 虹村さんの手が伸びて、その手が私の頭に置かれる。その大きな手のひらは、私の頭を優しく撫でてくれた。

「あんま、無理すんなよ」
 そして彼は、静かに笑った。
 触れられたところから、じわじわと広がる熱。それは体中に広がり、侵蝕する。私は思わず目を伏せた。虹村さんを直視できなかった。鼓動が、早くなる。
「ありがとう、ございました」
「おう」
手が離れて、名残惜しいと思ってしまう、この気持ちはなんだろう。

ゆめのはなし 08

「それじゃあ失礼します」
「ああ、気をつけろよ」
「……あの」
 部室から三歩離れたところで、伝え残したことがあって立ち止まった。振り返り、部室前で手を振って見送ってくれていた虹村さんに向き直る。

「兄を、よろしくお願いします」
 そう言うと、やっぱり虹村さんは、少し寂しそうな顔をして、
「ああ」
 それでも彼は、笑って頷いてくれた。

13.12.09 明那
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