cling


 授業が終わるチャイムが鳴る、それを合図に教室は各グループ毎に分かれ、ざわめきを生み出す。そのざわめきを遠くから見ているのが、私の日課だった。赤司征美はどの集団にも属しておらず、多くの時間を一人で過ごしていた。
 一人ぼっちというのは、まあ、心地よいものではないが、この世界においては大して気にならなかった。なぜなら、私はこの世界に対する異物だからだ。この世界は、私が使っているこの借り物の体である赤司征美が存在していた場所ではなかった。そのことは、赤司征十郎が証明してくれた。本来ならば、この世界に存在するはずのない存在だったのだ。だからこそ私は、世界から外れてもいいという特権を持っていた。一人でもいいんだ、という許しを得て、私は一人ぼっちという称号を与えられた。そしてその立場に甘んじていた。
 まあ、本来の意味で一人ぼっちではないというのもあるのだけども。一人でいることが多かったが、私には最強の味方がいる。赤司征十郎という最強の味方が。これ以上の味方はいない。
 だから、この世界での孤独は、思い描いていたものよりも、案外見晴らしの良いものだった。席について、窓の外を眺める。涼しい青色の空と、ゆったりと流れる雲が見える。見知らぬ世界に放り込まれたというのに、不思議と不安な気持ちはなく、なるようになれと半ば自暴自棄になる。まるで見上げたあの雲のように、私は世界にゆったりと流されていた。
 ふと、廊下側に目をやると、並んで歩く征ちゃんと緑間の姿が見えた。移動教室なのだろうか、教科書などを抱えていた。放課後以外で彼らに会うことも見かけることもなかったので珍しいことだった。征ちゃんがこちらに気づいて、視線を向けた。私は周りに気づかれない程度に小さく手を振った。すると征ちゃんは笑って手を振り返してくれた。
 通り過ぎ、視界から彼らが消える。そしてまた、私は一人の世界に帰る。

ゆめのはなし 07

 しかし、その世界は突然終わりを告げる。放課後に入ってすぐのことだった。いつも通り一人を満喫していると、一人の生徒が私のところにやってきた。
「赤司さん」
 名前も知らないクラスメイトが、私の名を呼んだ。それが、この教室で初めての世界からの干渉だった。
「灰崎くんが呼んでるよ」
 廊下の外に見えるのは灰色の彼。笑顔で手を振る彼は、まるで悪魔の遣いのようだった。

「赤司兄がお前のこと呼んでんだ。部室まで来いってさ」
 彼との初めての接触は、悪魔ではなく征ちゃんの使いっぱしりだったようだ。征ちゃん、悪魔とか言ってごめん。
「わざわざごめんなさい」
 一応兄の代わりに謝っておく。
「いやいや、いつものことだし、」
 いつものことなのか。
「別に、気遣わなくてもいいぜ」
 それはそれで更に謝るべきではないのだろうか。いつもこのような扱いを受けているとは、かわいそうなやつめ。

 それにしても、目の前の彼は私にとって違和感の塊だった。というのも、私が知っているのは、高校時代の灰崎がほとんどで、態度がデカく、悪役のイメージしかない。目の前のいじられキャラ系下僕好青年は、一体誰だ。
「着いたぜ、ここだ」
 そう言って灰崎が示した扉には「男子バスケットボール部」と書かれていた。部室棟の一室になっているそこは、放課後の割に人気がなかった。活動自体は体育館で行われているし、こんなものかと一人納得する。灰崎が扉の横で待機していたので、ノックをして征ちゃんの待つ部室へと入る。
「失礼します」
 扉を開けると、男子部室にしては綺麗な部室がそこにあった。思っていたよりもひどくはなく、ただ、視界に、印象に残ったのは部屋の様子のみであり、そこに征ちゃんの姿はなかった。

 背後で鍵の締まる音がして、その行為を行ったであろう人物に警戒したが、もう遅かった。
 背中を押され、力比べにはめっぽう弱い体はいともたやすく床に倒れ込んだ。慌てて起き上がろうとして振り返れば、灰崎が私の両手首を拘束し、もう一度床に押し倒した。
「何をするつもり?」
「随分と落ち着いてやがるじゃねぇか、お嬢様」
 そこにいたのは紛れもなく灰崎だった。私の知る、悪者の彼。身動きの取れないかつ身の危険を感じる状況で、しかし私はどこか一歩引いたところで自分の状況を捉えていた。灰崎の言うとおり、冷静さを保っていた。
「征ちゃんは、どこ?」
 わかりきったことを尋ねれば、灰崎は鼻で笑って模範解答をくれる。
「はっ、そんなのお前をここに連れ込む嘘に決まってんだろ」
「じゃあ、なんのために」
「今の状況見たらだいたいわかんだろ?」
 まあそうですけど、そこで頷いてしまったら彼は次の行動を始めてしまうわけだしそうもいかない。とりあえずやる気満々の彼を萎えさせないと。頭をよぎったのは先日の紫原との会話だった。
「……そういえば先日、紫原に言われたの」
「てめぇ、それはこの状況ですべき話か?」
「赤ちんが髪の毛伸ばしてスカート履いたみたいだよねーって」
「……」
 灰崎が少し引きつった笑みを浮かべた。どうやら少し効果があったみたいだ。更に追い討ちをかける。
「オレ、実は赤司征十郎なんだ、って言ったらどうする?ちょっとそれっぽいでしょ」
「てめぇ……萎えさせるんじゃねぇよ」
 いやいやそれが目的ですから。少し声を低くして、征ちゃんの真似をしてみたら案の定萎えてくださったらしい。
「だけどな、」
 しかし、彼は思いのほかしぶとかった。
「そんなことぐらいでこのオレが引くと思ったか?」
 片方の手首の拘束が解かれたと思えば、それと同時に自由になった灰崎の右手が、私の胸の膨らみに当てられる。

「……………………」
 なぜか、まるで一時停止ボタンを押したかのように、しばらく時が止まった。そして、何事もなかったかのように再生ボタンは押され、彼は口を開いた。
「てめぇは、紛れもなく赤司妹だ」




 彼がその判断を下すことを迷っていたこと、その要因が私の胸のふくらみ加減だったことを察すると同時に、私は左手を握りしめて、渾身の力で灰崎の左頬をめがけて拳を繰り出した。残念なことにその攻撃は灰崎によけられてしまい未遂に終わったが、しかし私の怒りは収まらないので言葉として彼にぶつけるしかなかった。

「ねぇちょっと迷ったでしょ。今の沈黙は何。ねぇ、なんとか言ったらどうなの。ちゃんとギリギリBくらい多分あるんだから、というか顔背けて笑ってんじゃないわよ」
「う、うっせえ!だ、黙れ!」
 彼は私から顔を背けるが、再び私の腕を拘束して身動きを取れないようにしやがった。雰囲気をぶち壊すことに成功したが、これでは彼から逃れられない。どうするか、怒りでいっぱいになりそうな頭で考える。

 そのとき、救世主はやってきた。
「おい灰崎、てめぇ何してやがる」


13.12.09 明那
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