cling

ゆめのはなし 05

 この借り物の体は、思いのほか動きやすかった。細い手足に軽い体、という物理的面はもちろんのこと、孤立しているという設定は、友人関係というひどく複雑で煩わしいものを一掃してくれたため、この世界での生活はイージーモードと言っても過言ではない。何もかもがご都合主義である。
 ただひとつ、孤立するための一因ともなっている、『病弱』という設定だけは、辛いものがあったなと、どうしようもない体のだるさに襲われながら、暗い廊下で一人考える。壁際にもたれかかり、座り込んで荒い呼吸を繰り返す。細くて無駄な肉のついていない軽いはずの体が、思い通りに動かなかない。
 放課後、教室で征ちゃんを待っていたら急に気分が悪くなって、保健室に向かおうとした途中で動けなくなってしまった。下校時刻も遅いこんな時間に、校舎の廊下を通りかかる人はほとんどいなかった。
 もう少し落ち着いたら、ひと踏ん張りして保健室まで這ってでも行こうかと、諦めて目を閉じた。何も考えず、ただ呼吸を整えることに専念していると、突然、頭上から声が降ってきた。
「こんなところで、どうかしたのか?」
 よく知る声だった。
「緑間……」
「赤司の妹か……大丈夫か、具合でも悪いのか?」
「うん、少し、体が重くて」
「少しどころではないだろう。保健室まで運んでやる、乗れ」
 そう言って緑間は背中を私に向けた。おぶってくれるらしい。私はその言葉に甘えて、最後の力を振り絞って彼の背中に寄りかかる。腕を肩にかけると、彼は慣れた動作で軽々と私をおぶった。
 運んでもらいながら、私は彼に尋ねた。
「緑間って兄弟、いる?」
「妹が一人いるのだよ」
「ああ、通りで」
「ん?どういうことだ」
 緑間は目の端で私を一瞥し、首をかしげた。
「いや、女の子の扱いになれているなって思って……あ、いや、なんかこれだと、チャラいって意味になっちゃうな……そうじゃなくって」
「……そんなことを言われたのは初めてなのだよ」
 不本意そうにつぶやく緑間に、フォローを入れずにはいられないのだが、いい言葉が見つからない。
「女子とあんまり絡んだりする、イメージがないのに、助けてくれたり」
「あんなところで具合が悪そうにしている奴を放っておくわけにもいかないだろう。それが友人の妹なら、なおさらだ」
「……ごめん、ありがとう」
「気にするな。ほら、着いたのだよ」
 緑間は私の足から片手を離し、保健室の扉をノックして、失礼します、と礼儀正しく入室する。事情を先生に話して、私はベッドに寝かせてもらえることになった。
「ちょっとお家の方に連絡してくるから、緑間くん、様子を見ておいてくれる?」
「はい、わかりました」
「じゃあよろしくね」
 パタパタと、スリッパが床を叩く音が遠ざかり、扉が閉まる音がした。それ以降響いたのは私の荒い呼吸だけだった。
「大丈夫か」
 緑間がベッドのカーテンを少し開けて、顔を覗かせる。
「横になれたから、少しマシになったよ」
「そうか、ならよかった。話しかけて悪かった。迎えが来るまで安静にしておけ」
「うん」
「何かあったらいつでも声をかけてくれ」
「ありがとう」
 そう言って彼はカーテンを元通り閉めた。私は一人、保健室のベッドの一室に取り残されたが、カーテンのすぐ外にはうっすらと彼の影が見える。ほんの少し、安心感を残したまま、私は重いまぶたをおろした。



「征(まさ)」
 征ちゃんの声がした。目を開けると、心配そうな表情を浮かべている征ちゃんがいた。頬が温かい、と思ったら彼が私の頬に手を添えていた。
「大丈夫か?」
 そう言って頬から額に、額から首筋に手を当てて、体温を確認する。その手は意外に大きく、ほんの少しひんやりとしていて気持ちよかった。
「熱は、ないみたいだけど」
 私は体を起こした。心なしか、先ほどより体は軽い。
「うん、少し休んだら、マシになった」
「瀬葉が迎えに来てくれたらしい。車まで歩けるか?」
「うん、行けそう」
 ベッドから降りる。まだ少し残る倦怠感は、先ほどの辛さに比べればどうってことはない。
 そこでふと、先程まで一緒にいた緑間のことを思い出した。
「そういえば……緑間は?」
「オレがここに来るまで征の様子を見てくれていたけど、入れ違いで帰ったよ」
 お礼を言いそびれてしまった。まあ、次会った時にでも言うことにしよう。
「いこうか、征」
「うん」
 征ちゃんに荷物を持ってもらって、私は車の待つ裏門まで歩いた。外はすっかり暗くなっていて、風が涼しい空気を運んでくる。

13.12.08 明那
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