cling

ゆめのはなし 04

 目を覚ます。視界に広がる天井は、まだ見慣れないままだ。
 時刻は朝の六時半。重い体を起こし、布団から出る。障子は朝日に照らされ、眩しいくらい白い。布団をたたみ、部屋の隅に避ける。
 障子を開けて、私は中庭へと向かった。あの日、私が落ちていた池のある中庭だ。私の部屋から池までは少し距離があり、部屋を出て廊下をまっすぐ進み、突き当りを曲がってやっと見える。
 私の部屋と征十郎の部屋の前には、桜の木が二本植えてあった。青々しい葉が生い茂っている。木の下には、散って色あせた花びらがまだ残っていた。涼しい風が吹いて、初夏の朝は心地よいものだった。

 廊下を曲がり、中庭にたどり着く。目的の池には先客がいた。先客は私に気づいて、顔を上げた。
「おはよう、征美」
「おはよう、征十郎」
 征十郎は、日課である鯉の餌やりをしていた。真っ赤な鯉が、水面に浮かんだ餌を食べるため、口をパクパクと開けて、沈んで、征十郎の足元を行ったり来たりしていた。
「早起きはどう?慣れてないって、昨日言ってたけど」
「やっぱりもう少し寝ていたいけど、頑張るよ」
「そうか」
 不意に欠伸が出る。征十郎はそれを見て、ふっと笑う。
「ごめんなさい……」
「ううん、構わないよ。本当に、眠そうだな、と思って」
「征十郎は、朝強いんだね」
 笑う彼は、眠気を感じさせない。背筋を伸ばしてしゃんと立っていて、隙が見えない。
「その代わり、オレは夜に弱いけどね」
「そうなの?」
「夜ふかしが苦手なんだ」
 なんという健康的な体なんだろう。夜ふかしなんてしようと思えばいくらでも出来そうなものなのに。
「羨ましいな。私はなかなか寝付けないから。夜行性なのかな」
「適度な運動をするとよく眠れるそうだ。ウォーキングか、軽い筋トレでもしてみたらどうだろうか」
「うん、体が許す限り、試してみるよ」
「そういえば、あまり丈夫な体ではなかったね」
「細っこい体だからね、気を付けて動かないとなあ……」
 両腕を前につきだし、細くて色白の肌を見る。今は自分の体であるわけだが、とても綺麗で見惚れてしまう。乱雑に扱わないように気をつけなければ、と心に決める。

「征十郎さん、征美さん、朝食の準備が出来ましたよ」
 特に内容のない会話をしていると、三田さんがやってきた。朝食の準備が出来たらしく、私と征十郎は中庭をあとにした。
 ここでの三田さんの発言に私たちは驚くことになった。

「征美さんの朝食はいつも通り征美さんのお部屋に準備しておきましたからね、食べ終わったら廊下に出しておいてくださいね」
「え?」
 私は、てっきり征十郎と、ここまで一度も顔を合わせていない父親と、それからここにいる三田さんとの食事を想定していた。なのに、三田さんの口ぶりからすれば、私は一人で朝食を取るようではないか。
 征十郎の様子を伺う。彼は一瞬残念そうな表情を浮かべたが、すぐにいつもの隙のない顔に戻った。
「本日、父さんは?」
「朝はゆっくりなされるようです。なので征十郎さんと一緒に朝食をとられるとのことです。お待ちになられてますよ」
「……そう、か」
 征十郎らしくない、弱気な声が漏れた。しかし、やはり次の瞬間には、しゃんと背筋を伸ばした彼がそこにいる。
「じゃあ、また後で、征美」
「うん」
 どういうわけか、この家では双子の兄は父親と朝食を一緒に食べ、双子の妹は自室で食事をとるらしい、というルールがあるようだ。
 普通の中学生としては、独りの食事は辛いものがあるかもしれないのだが、私はそれを一つのルールとしてしか認識しなかった。というのは、私の実年齢が中学生をとうに超え、大人に分類されるところまで歳を重ねていたせいもあるかもしれない。
 部屋に戻ると、言われたとおり、机の上にお盆に乗せられた朝食が用意されていた。
「いただきます」
 出された食事は、家に似つかわしい豪華なもので品数が多く、見た感じバランスまで良さそうであるという完璧な朝食だった。その料理に向かって手を合わせ、箸をつける。味はもちろんいうことがなかった。私は一人でその美味しさに感動しながら、箸をすすめた。
「ごちそうさまでした」
 空になった皿に向かって手を合わせ、指示通りに空になった皿を乗せたお盆を廊下に出しておいた。
 満腹になって幸せに浸っていたかったが、時計を見るとそろそろ学校へ行く時間になっていた。急いで制服に着替え、荷物を用意する。
 同じように準備を終えた征十郎が、私の部屋を訪れた。

「一緒に行こうか」
 私たちは車で登校することになった。歩いて行くと行ったのだが、運転手の瀬葉さんが許してくれなかった。
「昨日貧血で倒れられたばかりですからね。お送りいたします」
「はい……」
 確かに、体の倦怠感はまだ少し残っているといえば残っている。私は渋々頷き、車に乗り込んだ。後部座席に征十郎と並んで座った。運転手に聞こえないように、顔を寄せて小声で話す。
「学校では、私はどんな感じだったんだろう」
「病弱で休みがちだからね、そこそこ一匹狼らしいよ」
 桃井から聞いておいた、と言って征十郎は今までの私の様子を教えてくれた。愛想が悪いわけではないが、サバサバとした性格と赤司征十郎の双子の妹という肩書きのせいか、仲の良い特定の友人というのは少ないらしい。
「イケメンで学年トップで二年生にしてバスケ部の副主将の妹って、近寄り難いのかな?」
「君も端正な顔立ちをしているし、実際男子から人気がある。それも要因の一つだと思うよ」
 なんだこの褒め合いは、と思いながら征十郎の顔を見る。そっくりな自分を褒めるのはいささか自意識過剰だとは思ったが、事実だから仕方ないとしか言い様がない。征十郎としても、自分の美意識を基に判断した結果だろう。(まあそれを世間ではナルシストと呼ぶのだろうけど。)
「確かに。この容姿でサバサバしてたら、とっつきにくいかもね」
「でもまあ、そのおかげで動きやすいだろう」
「うん。苦労しなくて済みそう」
 こそこそと話す私たちは、不謹慎だけど、少し楽しんでいた。右も左もわからず、不安なはずなのに、なんとかなるだろうと能天気なことを考えている。半分以上は協力してくれている征十郎のおかげだが。
「困ったことがあったら、いつでも教室に来てくれていいよ。兄妹、だからね」
「ありがとう、征十郎」
 彼との関係は、兄と妹。頼りがいのありすぎる兄だ。守られるばかりで、なんだか申し訳なく思う。しかし、赤司がなんだか楽しそうなので良しとしよう。突然出来た妹を、彼は歓迎してくれていた。
「頼りがいのあるお兄ちゃん、だよ」
「お兄ちゃん、か。なんかくすぐったいな」
「征(せい)ちゃん、とかどう?」
「それも新鮮でいいな」
 いつの間にか、お互いの呼び方の話にすり替わっていた。
「妹よ」
「うーん、意外性を狙うならそれもありかもしれないけど」
「これはイマイチだな。征美、まさ、み……征(まさ)、とかどうだ」
「妹、よりは良いと思うよ。征(まさ)ちゃん、とかはどうかな」
「ちゃん、を付けるのは、少し気恥ずかしいな」
「確かに、征(せい)ちゃんのキャラじゃないね」
「じゃあしばらくは『征(せい)ちゃん』『征(まさ)』と呼び合おうか」
「うん、いいよ。そうしよう」
 そんな話で盛り上がる私たちは、中学二年生。呼び方にこだわる年頃、だということにしよう。
 ヒソヒソと話し込んでいる私たちを運ぶ車が止まって、運転手の瀬葉さんが運転席を下りた。そして後部座席の扉が開いた。
「お話が盛り上がっているところ大変申し訳ありません。裏門に到着いたしましたよ、征十郎さん、征美さん」
「ありがとう、瀬葉さん」
 開けてもらった扉から下車すると、大きく立派な学び舎がそこにはあった。裏門なので人通りは少ない。征十郎が、正門は目立ちすぎて嫌だと言って、瀬葉さんに交渉してくれたようだ。
「いってらっしゃいませ、気をつけて」
「いってきます、瀬葉さん」
「いってきます」
 征ちゃんと並んで私は裏門から学内へと足を踏み入れた。
「帰りは一緒に帰ろうか、征」
「部活が終わるまで図書館で待ってるよ、征ちゃん」
「終わったら迎えに行くよ」
「わかった」
 なんだかまるで、帰り時間を合わせる彼氏彼女のような会話に聞こえないこともないな、なんてことを考える。しかし今の彼との関係は兄妹。言葉を変えて、私は征ちゃんに思いをぶつけた。
「兄妹っぽいね、征ちゃん」
「そうだね、征」
 彼は思いのほか、この兄妹ごっこを楽しんでいるようだった。
「でも、妹というよりは」
 彼は私との距離を詰め、不敵に笑って呟いた。

「共犯者、という方がしっくりくるな」
 そして彼は、私と彼の関係を表す、適切な単語を口にした。口角を少し上げ、目をキラキラと輝かせ、楽しそうに私を見つめた。
 そんな無邪気な彼につられて、私は頬の筋肉を緩ませる。そして、大きく頷いた。

13.12.08 明那
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