cling

 これが日常、これが自分にとっての幸せ。

幸せ日和

 昼休み、いつものように一人で屋上で寝転んで空を見上げる。これが当たり前になっていて、晴れている日は毎日違う空の表情を見るのが一日の楽しみになっている。昨日は曇っていて空一面が灰色で、一昨日は深い深い蒼だった。そして今日は、一昨日のように深い蒼の空に羊雲が所々にあった。
「綺麗……」
 いつもと同じ、たった三文字の言葉を吐き出す。その後に訪れたのは沈黙。これもいつもと同じ事で、少し寂しい気もするがもう慣れた。ゆっくり流れていく羊雲を、ただ目で追う作業に徹する。

 重い扉を開ける音が頭上で聞こえる。もちろん、寝転んでいるあたしから見ての頭上。そして閉まった音が聞こえたと思うと、パタパタと言う控えめな足音が此方へ向かってきた。起き上がるのも面倒だからそのままの体勢で、その人物が近づいてくれるのを待つ。

 それが"彼"だという確信があったから。
「よー……司馬」
 あたしの顔を覗き込んだのは確信どおりの"彼"、司馬葵だった。そんな司馬にあたしは気の抜けた声をかける。司馬は少し笑って、無言のままあたしの隣に座った。
 一人だけ寝転んでいるのもどうかと思い、司馬が座るのと同時にあたしは上体をおこした。軽く欠伸をして、司馬の方へと顔を向ける。
「弁当、もう食べてきた?」
 無口な彼は口を閉じたまま、こくりと頷いた。
「そっか」
 会話がそれ以上続く事はなかった。そして再び訪れるのは沈黙。だけどそれは辛いものではない。これが、あたしと彼にとっての日常だった。沈黙は、むしろ、この上ない安心をもたらす。
「司馬、今何聞いてる?」
 ふと、思ったことを口にしてみた。司馬は相変わらず口を開こうとはしなかったが、その代わり耳につけていたイヤホンをあたしの耳に当てた。その途端、軽快な洋楽が耳に入る。
「いつもと同じ人が歌ってる曲だよな」
 司馬は嬉しそうに頷いた。普段あまり聞かない洋楽だけど、こうやって何度も司馬に聞かせてもらっているうちに声色を覚えてしまった。えっと、名前は確か……紅印?あ、似てるけど違う。いや、全然違うか。クイーン。確かそうだ。まぁ、名前なんてどうだっていい……ことはないけど。(さすがに有名歌手と紅印を間違えるのは有名歌手に悪いしな。)
 とにかく、今日も同じ声色がイヤホンから聞こえる。あたしは英語である歌詞の意味を理解するわけでもなく、ただなんとなく聞き流す。この軽快な音楽は、嫌いじゃない。むしろわりと好きだ。司馬はこうして、あたしに新しいものを持ってきてくれる。彼の好きなものを、私にも教えてくれる。司馬が好きなものに、興味を持てないわけがない。
 曲が終わる。それと同時にピッピッという電子音が聞こえて、その音が途切れたと思えば次に流れてきたのは、あたしの好きな邦楽だった。
「あ、これって『AM11:00』」
 司馬は頷く。でも、邦楽なんて珍しい。
「お前、普段洋楽しか聞かないよな?」
 司馬はあたしの問いに少しだけ戸惑い、そして頷いた。そして恥ずかしそうに顔を逸らす。
「もしかして、"あたしのために入れてくれた"なんて言う『甘〜い甘すぎるよ○沢さ〜ん!!』な事いわねぇよな……って、落ち込むなー司馬ー!!!」
 どうやら図星だったらしく、司馬は足を抱え込んでうな垂れていた。耳がほんのり赤く染まっている。
「ごめんごめん。冗談だって、冗談!!」
 彼は「本当?」と問いかけるように少し顔を上げる。「本当」と必要最低限の言葉で返すと、彼は安心したのか一息ついた。そして柄にもない言葉を呟かざるを得なくなる。
「ありがとうな……」
 返事はない。だけど彼の紅くなった頬を見れば、届いたことは明白だった。分かりやすい奴だなと思うが、そんな事を言えばもっと頬を紅くして恥ずかしがるだろうし、可哀想だから止めておこう。
 これ以上必要ないと思ってあたしは口を閉ざし、彼にもたれかかった。そして、春の暖かさによってもたらされた睡魔に抵抗することなく、目を閉じる。耳に当てたイヤホンから聞こえてくる曲がだんだん遠くなり、あたしは意識を手放した。

*
「だからお願い、僕の傍にいてくれないか、君が好きだから」

 小さな声で歌に乗せて紡いだ想いは、君に届く事はない。だけど、規則的な寝息はむしろ愛おしく感じるんだ。
 君が隣にいる日常を、噛み締められる。隣にいて、寄り添って、君の寝息を隣で聞けて、僕にとってそれは、十分すぎる幸せなんだよ


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BGM  AM11:00/HY
05.01.29.(修正13.12.06) 明那
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