そう、初めからなんとなく感じていた。
彼女の俺に対する"好き"という感情と、俺の彼女に対する"好き"という感情が
同等のものではないという事は。








君の幸せを祈る








「でね、バネさんがねー」

何度もの口から出てくる「バネさん」という言葉。
彼女はその言葉を紡ぐたびに頬の筋肉を緩ませ、幸せそうな笑みを浮かべる。


「はいはい、色ボケ話も程ほどに」
「え、ちょっと待ってよ!もっと聞いてってば!」
「いやあ、普通そういう話は俺じゃなくて女友達に聞いてもらう物じゃないか?」
「……なんか、自慢みたくなって嫌じゃん」
「俺に対しては自慢にならないのか?」
「いいじゃん。男友達なんだから」


俺と彼女は幼馴染で家も隣同士。
幼い頃からよく遊んだりしていて、今もその関係は継続中。
今もこうして、俺の部屋で他愛も無い話をしている。





数日前に彼女は彼女の想い人であるバネとめでたく付き合うことになった。
周りから見たらそれまで付き合っていなかったのがおかしかったぐらいに二人は仲がよくて、
付き合って変わったところなどないと思うかもしれない。
だけど、彼女の幼馴染で彼女に一番近い俺には、その変化に気づいた。

毎日俺と一緒に登校していたのに、時々彼女はバネと行くようになった。
休日に「暇だー!」と俺の家に押しかけてくる回数も減った。


小さいけれど、確かな変化。
大したことなんかないはずなのに、俺は焦っていた。





彼女が俺から少しずつ離れていくことに。





「……俺らしくないな」
「ん?何か言った、サエさん?」
「え、いや、何も言ってないけど」


思わず零れてしまった言葉を危うく彼女に聞き取られそうになって、俺は誤魔化した。
すると彼女は「あ、そう」と簡単に納得する。彼女が鈍感で助かった。


「それじゃあサエさん、あたしそろそろ部屋に戻るよ」


そういって彼女は窓の方へ歩いて行った。そしてその窓を開け、窓枠へ登る。

別に彼女はおかしくなったわけではない。窓から飛び降りる訳でもない。
彼女の開けた窓の向こうには、隣の家、つまり彼女の家の開け放された窓があるのだ。
窓から窓の間は一メートルもなく、飛び移るのは簡単。
その先の部屋は彼女の部屋で、面倒なことが嫌いな俺と彼女が小学校に入る前から使っている通路だ。


「いつものことだけど、落ちないように」
「わかってるわかってる」



気だるそうな言葉を残し、彼女は窓の向こう側に行って俺の視界から姿を消した。











寂しさ、焦り、妬み。
中途半端な大きさの感情が、何の前触れもなく自分の奥底から混みあがってくる。


彼女が少しずつ離れてくことで感じる、寂しさ、焦り。
いつまでも彼女がそばにいることなど有り得ないと、とっくにわかっていたのに。

そんな彼女が離れていった原因であるバネに対して感じる、妬み。
彼女が幸せそうにバネのことを話すのを見て、彼の優しさを俺自身も感じて、もう俺なんかじゃ敵うわけがないとわかっているのに。

わかっているのに、それでもあり続ける感情。鬱陶しかった。


この感情を満たすのもいいかもしれない。
今のこの現状に抵抗し、大事にしていたものを崩し、自分の幸せだけを求めるのも。
そうすればこの鬱陶しい感情も消えるだろうし、自分だって幸せになれる。


だけど、そうしてしまうと、何もかもを崩してまで手にした肝心の彼女は幸せでなくなる。
彼女はこの現状に満足していて、今が彼女にとっての幸せ。
それを壊して、俺が幸せであり続けるわけがない。





「どっちにしたって、無理……か」


そう、どちらしかないのにどちらにしたって俺が幸福感だけで満たされることなどありはしない。
そんな都合のいい話など存在しない。
俺が今俺の幸せのために、彼女の幸せのために出来る事はたった一つだけ。








ただただ彼女の幸せを祈る、それ以上は何も出来ない。
そんな無力な自分に腹が立ったがどうする事も出来ず、ほかの事をやる気にもなれず、眩しい夕日が差し込む部屋の床に寝転がり、目を閉じた。










+++++











嫌な夢を見た。




それは、バネとが別れる夢だった。
そして別れたが、俺とずっと一緒にいる夢だった。
それで俺は幸せなはずだった。けれど違った。
彼女はいつもの彼女ではなかった。
寂しそうにずっと俯いたままで、そして彼女が俺の隣で紡いだ言葉は、





「バネさん」



彼女の大好きな人の名前。









「サエさん?」




目を開けるとすぐそこに、彼女がいた。
寝転んでいる俺の顔を覗き込んでいた。



「どうしたのサエさん?床なんかで居眠りしちゃって、風邪引いちゃうよ?」
……」

目の前の彼女は夢の中とは違って、いつもどおり、能天気で幸せそうな彼女だった。


「しかも、すっごい汗。熱でもあるの?」


少し心配したのか、彼女が俺の前髪を掻きあげて、額に触れた。
彼女のひんやりとした手のひらが心地良かった。
そして急に、寂しくなって、温度がほしい衝動に駆られた。



「うーん、そうでもなっ!……ちょ!サエさん?!」

その寂しさに押し潰されそうになり、俺はを抱きしめた。
いつの間にか分かるようになっていた、彼女の香り。
それがいつもよりはっきりしていて、隣にあった温かさもいつもより近くて、




「ど、どうしたの、サエさん?ねえ、大丈夫?サエさん、サエさん」

腕の中でなすがままになってる彼女は、相変わらず暢気な声で俺の心配をしている。
自分の状況がわかっていないのだろう。
そういうところもらしいと言えばらしいけど。
どうしよう、このまま……うん、それはさすがに駄目か。
これだけでも、バネにばれたら怒られるだろうし。



「何、サエさん?」

この状況でもなお平然としている彼女の反応は、喜ばしいものではない。
彼女にとっての俺は、いつまで経っても幼馴染のままなのだ。


、大好きだよ」
「サエさん?私も好きだよ?」

それはバネに対するものとは違うってことを、俺は、

「知ってるよ」


そう言って、俺は名残惜しげに君を解放し、ただただ、祈る。





君の、幸せを。






12.12.22
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