「あ、」
小さく上げた声に誰かが振り返ったわけでもなかった。当然だ、此処は無人。言ってしまえ
ば私以外の人間はいなくてサァサァと風が吹くだけ、寂しくは無い。私の日課のようになってしまったこの行為、ふと
声が出てしまう。別に黒板消しが飛んできたわけでもシャーペンが踊ったわけでも穴に落ちたわけでもない。私の日課
であるこの放課後教室に残る、という理由の原因を見つけただけの事だった。
彼との接点は決して多くは
無い。今年やっと同じクラスになれただけ。私と言えば一年の終わりからずっと彼を見ていて、その背中を追って
いた。一年の頃から伸びた身長、変わった髪型、使い込んだスクールバッグ。それでも唯一つ変わらなかったのは、彼
―――南健太郎への恋心だった。
そりゃ、千石に比べれば確かに地味だしパッとしないとは思う。でもそれは
些か比べる対象が間違っていないかと突っ込みたくなる私の気持ちも誰か分かってくれ。彼は決して地味なんかじゃ
なく、優しく素直でそして何より格好良いのだ。他の誰よりも、格好良くて、誰よりも優しい。それを私は知って
いる。
彼は私の名前を知っているだろうか、(彼の事だからクラス全員の名前を覚えていそうだ)
彼は私の事を見ているだろうか、(視界に入る程度だったのなら多少は見てくれているだろう)
彼は私の何かを
知っているだろうか、(名前と性別とクラスと出席番号は間違いなく知っている)
彼は、私の気持ちを、知っているだろうか。
気付いて欲しいのか気付かないで欲しいのか、矛盾を繰り返すまま
結局今の状態。
変なところでグダグダしてしまう自分が情けないと言うか仕方ないと言うか。この間勇気を
出して告白し見事成功した友人を尊敬できると本気で思った。気が付けば、南はもうテニスコートにはいない、まだ
部活時間なのに。部長だから用事が出来たか誰かに呼ばれたか何かの確認か・・。
はぁ、と溜息一つ吐いて今日は
帰ろうと先を立った瞬間、ガラリと扉が開いた。
「あ、やっぱりいた。。」
「え、南。どうしたの、部活は?まだ活動時間でしょ。」
「それいうなら
こそ。無所属だろ?どうしたんだこんな時間まで。」
「・・・ほ、本読んでたら遅くなっちゃって。
気付いたらこの時間。」
「気をつけろよ、春先とはいえまだ肌寒いし女子なんだし、危ないぞ。」
「うん、
ありがとう。」
にこりと笑えば、以後気をつけるように、なんて茶化しながら彼もにこりと笑った。その
笑顔は温かい。今の季節、春の日差しのように温かで爽やかだ。今日は収穫が大きいな、なんて心の底で少し喜んで
みたり。
南は私の名前を知っていた、やっぱりいたと言ったから私の事を一瞬でも見てくれたのだろう、
そして私が部活に所属していない事も女だという事知っていた。それだけで充分なのに、それ以上を望む私は欲張り
なのだろうか。
「さっきテニスコートからが見えてさ、これ担任から頼まれ物。」
「ありがとう、日誌?・・と、ノートか。」
「日直ご苦労
様ってさ、後は預かってたノートらしい。社会だったかな。」
「そういや私今日に直だったっけ、ありがと。」
「いや・・・、遅くならないうちに帰れよ。それじゃ、また明日。」
チラリと南の顔を見れば、何だ
か少し赤い気がする。夕日のせいか。もう行ってしまうのかと少し残念に思いながらも、それを表情には出さずに
「また明日」と言う。何だかいつもより落ち着きの無い南、挨拶したのにその場を動かなかった。はて、と首を傾げて
今日室内を見回してみる。
当然のように教室には私の南しかいなくて、南の荷物は無い。私の机の上にポツン
と鞄が置いてあるだけだ。仕事の遣り残しも無いだろう。一体なんだともう一度南の方を向いたら真剣な瞳とかち
合って、その場を動けなかった。
「み、南・・・?」
「、その・・・今日、一緒に帰らないか?」
「え!」
「あ、やっぱ・・無理だよな。ごめん、それ
じゃ・・。」
「いやいやいや無理じゃないけど、大丈夫だけど!どうしたの?」
思わず声を大きく
したら南は一瞬で頭を項垂れて、生気の無い笑顔でヒラヒラと手を振りつつ方向転換して元来た道を帰ろうとした。
言われた台詞にただ驚きドキリと鼓動が高鳴った私、決して嫌じゃない、むしろ嬉しい。
必死でその制服の裾を
掴んで引き止めれば、え、と此方を向いた南とまた目が合う。
何だか気恥ずかしくて逸らそうとしたら私より
先に南が少し恥ずかしそうに目を逸らした。
「いや・・。あ、部活もうすぐ終わるから、教室にいてくれ
るか?」
「あ、うん。分かった。」
「それじゃ、また後で。」
「うん。」
よく分からない
まま聞かれたくなさそうだったからそのままスルーしておく。もしかしたら悩みか何かかもしれない、友達を好きに
なったとかじゃなければいいなぁ・・。挨拶をして背を向けた南、私も不安と期待が入り混じった気持ちのまま教室に
入ろうとしたら、クルリとまたこちらを向いた南が早口で言った。それも、真っ赤な顔で。
「の、ノートの中、
確認しておけよ!返事は後でいいからっ!」
え、と言う間もなくダッシュで去ってしまうから何も言えないまま口
は半開き。南の顔がトマト以上に真っ赤に見えたのは気のせいか、いや気のせいじゃないと思うけど。
ドキ
ドキといつもより倍近い速さで鼓動が音を立てる中、ドアに寄りかかりつつパラリとノートを捲る。見慣れた自分の字
がそこにあった。パラパラとそのまま捲って最後のページ、見慣れないメモと字がそこに。
『ずっと好きだった』
「う、そだぁ・・・。」
ズルズルと
座り込んで、私今自分で鏡を見なくとも顔が真っ赤と言う自信がある。たまにノートから見えた南の字だ、綺麗で読み
やすい南の字が、伝える。顔が真っ赤だったのも、様子がおかしかったのもこのせいか、納得する前に心臓をどうにか
したい。明らかに夕日のせいじゃなく赤く火照った頬を机について冷ましてみたけど効果なし。
言い逃げ、
いやむしろ書き逃げなんてずるいじゃないか、南のバカ野郎。教室に来たら一番に言ってやる、私もアンタが好きだ
って。アンタよりずっとずっと前から好きでずっと見てたんだって、笑って言ってやろう。だから今覚悟を決めて、
急いでテニスコートから駆け出す長身の彼を見てまた笑う。
どうやらこの恋心、成就してもなお消える様子は無い
みたいだ。
南が入学当時から私を見て好きでいてくれたと知るのは、後三分後の話。お互い真っ赤に
なって笑い合いながら手を繋いで帰って次の日も一緒に登校して、前々から南に相談を受けていた千石の仕業で校内
公認カップルとなってしまうのも、まぁいいか。(あ、でも千石の事だけは国語辞書で頭引っ叩くくらいはして
おこう)