幼馴染。

それが彼と私の関係を示す言葉だ。
だから彼とは小さい頃からよく遊び、親同士も仲が良くて家族ぐるみの付き合いもある。





自分の名前を呼ばれ、振り返る。そこにいたのは彼、真田弦一郎。
幼い頃から変わらない厳しさ、強さ、頑固さ。
あまりにもかわらなさすぎるのは、彼のその真っ直ぐ過ぎる性格の所為だろう。


「何、弦一郎?」
「母にお前の両親が旅行で不在と聞いてな、一人なら家に夕飯を食べに来ないか?」
「うーん、夕食の準備まだしてないし……それじゃあお世話になろうかな」
「では俺の部活が終わるまで待っていてはくれないか?」
「りょーかい。頑張ってきてねー、副部長さん」


私が少し微笑んで返事をすると、彼は「また後でな」と短い言葉を残し、ざわつく放課後の教室から出て行った。
残された私だが、特に教室でやりたい事も無く、かといって明日提出の宿題をやって待っている気にもなれず、
荷物を素早くまとめて彼の後を追った。










「部活を見ているならそこのベンチがいいだろう」と言われ、私はその指示通りベンチに座ってテニス部の練習風景を見ていた。
今は弦一郎がコートに立っている。彼が素早くラケットを振りかぶると、ボールは勢い良く相手のコートに突き刺さる。
彼の実力を見せ付けられたのは久しぶりだけど、相変わらず凄い奴だ。


「あ、。お前こんなところで何してんだ?」


フェンス越しに声をかけてきたのは友達でありテニス部の部員でもある丸井だった。
フェンスに少し体重をかけたのか、フェンスの揺れて軋む音が耳に入る。


「見学。今日の夕飯は弦一郎の家でご馳走になるし、弦一郎待ってんの」
「ふーん」


丸井はそういった後、ガムを膨らませ始め、私たちの会話は途切れた。
まあ、別に構わない私は、再びコートで頑張っている弦一郎の方へ視線を戻す。

が、その視線はまた丸井に戻される事になった。





「まだ、境界線越えてねーのか?」


何気ない彼の問いが私の心臓を突いて、表情を歪ませた。


「……うん」


少し息苦しかったけれど、私は何とか彼に届くくらいの小さな声で頷いた。





丸井の言う境界線、それは私と弦一郎との間に存在する境界線のことを指している。
もちろん、実際に見えてるわけなんか無いし、しかもどこからどこまであるのかさえ曖昧なもの。

でも、それは確かに存在していた。
私と弦一郎の間には、距離を感じるほどの何かがあった。
その存在に気づいて、それを結構仲の良かった丸井に話したところ、彼はそれを「境界線みたいだ」と言って、
それから私と丸井の間では、その距離を感じさせるほどのものを「境界線」と呼んでいた。


「でも……」
「でも?」
「やっぱり、越えることなんか最初から無理なんだよ」


どこにあるのかも、わからないというのに。













遠くで、私を呼ぶ彼の声がした。
と思ったのだが、顔を上げると彼はいつの間にか私の目の前にいて、自分が眠っていたのだと気づいた。


「……弦一郎?」
「こんなところで寝ていたのか、相変わらず器用な奴だな」
「……部活、終わったの?」
「ああ、帰るぞ」
「あ……う、うん」


素っ気無い返事をするくせに、もたついている私を待っていてくれる彼。
どうしよう、愛しくてたまらない。





だけど同時に、切なくてたまらない。










「弦一郎の家に来るの、久々かも」
「半年ぶり……か?」
「うん、そのくらい。あ、そういえばさ―――」


他愛ない、"幼馴染同士"の会話が続く。
これはこれで心地良くて好きだ。





だけど、やっぱり切ない。
私が望んでるのはこんな関係じゃない。


"幼馴染"という微妙な位置よりも、上に行きたい。
腕を組んだり指を絡めて手を繋いだり、そんなことが出来るような関係になりたい。
境界線の、向こう側へ行きたい。弦一郎と私の間にある境界線を越えたい。





だけど、そう思うのに越えられない。
どうしても私は現状を維持しようとしてしまう。
"幼馴染"という、"友達"よりも繋がりの深い関係を手放したくないから。


越えようとして越せなかった時には、もう元の関係には戻れない。
恋愛感情を抱いていると知ったら、もう幼馴染として接する事は出来ないだろう。
気まずくなるに決まっている。


それが怖くてどうしようもない。だから、越せない。





「……寒いね、弦一郎」
「そうだな。昨日雪も降ったからな」
「うん」


喋る度に、白くなった息が目の前を通り過ぎる。
昨日降った雪の所為か、前よりも濃い白のような気がする。
手も凍りそうなくらい冷たくて、紛らわす為に擦り合わせてみたりした。
温まる気はしなかったけど。






「ん?」
「手……」
「手が、どうかした?」
「貸せ」
「貸せって……あ、」


私の冷たい手が、弦一郎の温かい手に包まれた。
手から熱が伝わる。だんだん、温かくなっていく。


「お前は冷え性だからな、手が冷たいだろう?」
「そ、そうだけど」
「ならばこれでいいではないか」
「う、うん」


心臓の音が早くなって、大きくなって、隣の弦一郎に聞こえてしまいそうだ。
手を繋いでいる、と言っても弦一郎の手が私の手を包み込んでいるだけなのだが、
それでも恋人同士のようで心が躍る。嬉しかった。





「こうしていると……みたいだな」


弦一郎が小さな声で何か呟いたようだけど、私の耳には届かなかった。


「ごめん弦一郎、聞き取れなかったんだけど、何て言ったの?」
「いや、ただの独り言だ」
「……そっか」


繋いだ手にもう一度視線を向ける。

手を繋げて嬉しいとは思う。
だけどやっぱり、指を絡ませた繋ぎ方がいい。
高望みだとわかっている、わかっているけど、それでも―――


「ん、……?」


手に力を入れて弦一郎の手を一度開かせて、私は彼と指を絡めた。


「こっちの方が、温かい」


境界線を踏んでいたことに気づいて、私は後悔した。
馬鹿だ、いきなりこんな行動に出てしまうなんて。
こんな事をしてしまえば、もう戻れないじゃないか。





どうしよう、どうしよう。
嫌だ、これ以上離れるなんて、そんなの嫌だ。










そう思った直後。
ずっと離さずにいた手が、ぎゅっと、強く握り返された。





「それならば、こちらの握り方の方が良いな」
「え……」
「ん?どうかしたか?」
「い、いや、なんでもない」
「そうか」


彼は、拒絶しなかった。受け入れてくれた。


いや、そう思うのはまだ早いかもしれない。
弦一郎の事だ、もしかしたら恋人繋ぎを知らないかもしれない、
なんてことはさすがにない……とも言いきれない。それが弦一郎だ。


結局、弦一郎が私を受け止めてくれたかどうかはわからないままだったけれども、
弦一郎の家に着くまでの間ずっと手を繋いでいられて、私は今までに感じたことのない幸せな気持ちでいっぱいだった。








まだ見つからない。だけど、今はまだ見つからなくてもいいや。






07.02.13 坂田明那

inserted by FC2 system